
はじめまして。こはるです。
数あるホームページの中からご覧いただき、ありがとうございます。
「こころをほどき、次の一歩を見つける時間」をテーマに、
仕事を覚えられない不安で自信を無くした人専門のメールカウンセリング を行っています。
どうぞ、温かいお茶でも飲みながら、ゆっくりとお読みください。

家族の中にしても、どこか安心できない そんな違和感を抱えながら育ちました

私は東京で生まれ育ち、両親・姉2人・妹・祖母と暮らしていました。
両親は自営業を営んでいました。
一見するとにぎやかな家庭でしたが、私の中にはいつも、言葉にできない違和感がありました。
母はとてもエネルギーの強い人で、家族の前で父を責めたり、見下すような言動をすることもありました。
母は一人っ子で、父はお婿さんでした。
母は家族のすべてを支配していました。
その場の空気が一気に張りつめるのを、何度も感じてきました。
私はただ、その空気を壊さないように、静かに息をひそめていました。
「どうしてこんなに苦しいのだろう」
その答えはわからないまま、幼い心の中に残り続けていました。
何も知らされずに取り残された日、言葉にできない寂しさを抱えました

小学校3年生の時でした。ある朝 目が覚めると、家には祖母と妹しかいませんでした。
両親と姉たちは、何も言わずにどこかに出かけていたのです。
理由もわからず、ただ置いていかれたという事実だけが残りました。
楽しそうに帰ってきた家族を見て、
私はその場にいながら、どこか一人ぼっちのように感じていました。
本当は聞きたかった。
「どうして何も言ってくれなかったの?」と。
何も言わずに、私と妹を残し、スキーに出かけた両親には腹が立ちました。
私の存在なんて、ないんだと心底思いました。
でも、その言葉は喉の奥で止まり、外に出ることはありませんでした。
今思うと、ほんとに寂しかった‥
私の気持ちなんて、この家族の中には考えてくれる人はいないと思いました。
大切にしていたオルガンを失ったとき「自分の気持ちは大切にされない」と感じました。

さらに追い打ちをかけるように、こんなこともありました。
小学校4年生の時、私が毎日のように弾いていたオルガンが、ある日突然、運び出されようとしていました。
私は、なぜ運ぶの?どこに持っていくの?と聞きました。
理由は「お客さんが欲しいと言っているから、あげるんだ」と…
事前に相談されることもなく、ただ決まったこととして伝えられました。
そのとき感じたのは、悲しさだけではありませんでした。
「私の気持ちは、ここには存在していないんだ」
そんな感覚が、静かに心に残りました。
姉の結婚式に呼ばれない側でした

姉の結婚式に私と妹は参加していません。
当時、小学校5年生でした。
子ども心に、参加させてもらえなかった事実だけが記憶に残っています。
ここでも、家族として扱っていないことを大変寂しく思いました。
長女と次女だけを大切にして、三女、四女はいないものとして扱う。
私は、一体この家のなんなの?と思いました。
姉妹4人いるのだから、みんな揃って出席したかったです。
家族として扱ってもらっていないんだと思いました。
ここでも、悲しい気持ちになりました。
家の中に“当たり前の安心”がないことに、気づかないふりをしていました。

私は母が家事をしている記憶がありません。
主婦が家事をしない家は、悲惨です。
家事を放棄するという事実が、どれほど子供のこころを傷つけているかを
母は、わからなかったと思います。
私のこころは 満たされない思いで一杯になりました。
私は、掃除のされた家で、安心して、母の手料理をみんなで囲むような当たり前のような生活がしたかった。
贅沢なんてしなくてもいい。
温かいぬくもりが欲しかった。
一家団欒なんて、夢のまた夢でした。
気づかないうちに、自分の気持ちを感じることすらできなくなっていました。

悲しい。寂しい。悔しい。
本当は感じていたはずの気持ちが、少しずつわからなくなっていきました。
感情を抑えることが当たり前になり、
何を感じているのか、自分でもわからない状態になっていきました。
何も感じないことで、自分を必死に守っていました。
10代の後半に、張っていた糸がぷつんと切れてしまい、ノイローゼと診断され精神科に入院しました。
子供の頃からの習慣で、自分の感情を抑えながら生きてきたのが、何かのきっかけで
もう、これ以上耐えられないところまで、きてしまったのかと思います。
何もかも信じられない/生きているのが嫌だ/消えてしまいたい/私なんて必要ないんだ
と思っていました。
わたしのこころは、完全に壊れました。
退院後、しばらくしてから大学に戻りましたが、
また1年後、精神状態が悪くなってしまい、家族に通学を反対され、やむを得ず中退しました。
子供の頃にできたこころの傷が、治っていなかったことが原因だと思います。
今思うと、カウンセリングを受けたほうが良かったと思います。
その後は、勿論仕事をできるわけでもなく、虚ろな目でニート生活を送り、ただ食べて寝てばかりの毎日でした。
その結果、見事に体重が20㎏増えてしまい青春時代の一番きれいで輝いている時期を暗いトンネルの中で過ごしました。
もちろん、成人式にも参加できるわけがありませんでした。
人に会いたくない/人の目が怖い/楽しいことなんて何もない/幸せそうな人を見ると腹が立つ/こころから笑ったことがない
自分を信じることができなかったです。
死んだら楽になれるだろうと思いました。
自分が憐れで、情けなく、自分が大嫌いでした。
どん底でした。
「自分を大切にしていい」と知ったとき、止まっていた心が動き出しました。

30代になったそんなある日、ぶらっと寄った図書館で石原加受子さんの本に出会いました。
心理カウンセラーをされている方です。
そこに書かれていた言葉は、私にとって衝撃でした。
「自分の感情を大切にしていい」
その一言を読んだとき、
今まで押し込めてきたものが一気にあふれ、涙が止まりませんでした。
「私は、ずっと我慢してきたんだ」
そう気づいた瞬間でした。
そこから少しずつ、自分の心に目を向けるようになり、
凍りついていた感情が、ゆっくりとほどけていきました。
人の温かさとか、ぬくもりを感じることができるようになりま
理不尽で悲しいことは あったけど、
自分を大切にしようと こころから思えるようになりました。
「まるでパズルの欠片を埋めるように」

私は、過ぎ去った時間を思い起こすのではなく、これからの未来に目を向けるように
なりました。
時には人間関係に悩むこともありましたが、少しずつ、元来のわたしに戻ってきたような感覚がありました。
一生懸命に努力すれば、必ず成果が出るという信念が生まれました。
物事をポジティブに考えられるようになり、顔も自信に満ちた明るい顔になっていきました。
こんな気持ちが段々私に芽生えてきました。
石原加受子さんみたいなカウンセラーさんになりたい!!
現在は苦しんでいる方のこころの負担を少なくするお手伝いをしております。
あなたは一人ではありません。

今度は、自分が誰かの苦しみに寄り添いたいと思いました。
私自身が助けていただいたように、今度は私が困っている人の助けになりたいと思いました。
今SOSを出せないで苦しんでいるあなたの隣で寄り添いたいと思います。
あなたは一人ではありません。
頼っていいんです。
ここは、無理に変わる場所ではありません。
安心できる中で、
少しずつ、自分の気持ちを取り戻していく場所です。
「こころをほどき、次の一歩を見つける時間」を、
一緒に作っていけたら嬉しいです。

あなたとのご縁を楽しみにしています。


