「トゲは拾わない」― 威圧する人の言葉を、全部まともに受け取らなくていい ―

威圧する人の心の中って、どうなっているんだろう!

職場で仕事を教えてもらっているとき。

「そんなことも分からないの?」
「前にも言ったよね?」
「普通は分かると思うけど」

言っている内容そのものより、口調や表情、ため息、嫌みのほうが気になってしまうことがあります。

こちらは仕事を覚えたいだけなのに、なぜか萎縮してしまう。

そして家に帰ってから、

「私の覚えが悪いからかな」
「嫌われているのかな」
「明日も聞かないといけないのが嫌だな……」

と考えてしまう。

でも、ちょっと視点を変えてみましょう。

威圧する人の心の中って、いったいどうなっているのでしょう?

もちろん、相手の心の中を決めつけることはできません。

ただ、人が必要以上に威圧的になる背景には、いくつかの心理が隠れていることがあります。

「ちゃんと教える」より「自分が上」が大事になっている

仕事を教えるということは、本来、

「相手ができるようになるために伝えること」

です。

ところが、いつの間にか、

「私は知っている人」
「あなたは知らない人」

という上下関係に変わってしまう人がいます。

教えることによって、自分の優位性を感じる。

すると、

「ここはこうすればいいよ」

で済むところに、

「こんなの常識だけどね」

という一言が加わったりします。

その一言、仕事を覚えるためには必要ありませんよね。

「教える」と「相手を小さくする」は、本来まったく別のことなのです。

実は、その人自身に余裕がないこともある

威圧的な人を見ると、「自信がある人」「強い人」に見えることがあります。

でも、必ずしもそうとは限りません。

忙しい。
焦っている。
失敗したくない。
自分も上司からプレッシャーをかけられている。
自分の評価が気になっている。

そんな心の余裕のなさが、立場の弱い相手への強い口調になって表れることがあります。

つまり、

強く見えることと、心に余裕があることは同じではない

ということです。

「自分もそうされてきた」という人もいる

これも職場ではよくあります。

「私の新人時代はもっと厳しかった」
「怒られながら覚えるものだ」
「それくらいで傷ついていたら仕事にならない」

自分が受けてきた厳しい指導を、「普通のこと」として次の人にも渡してしまう。

本人には、いじめている意識さえないかもしれません。

でも、

自分がされて嫌だったことを、次の人にもする必要はありません。

厳しくされて育ったことと、厳しくしなければ人が育たないことは別です。

相手を萎縮させることで安心する人もいる

少しやっかいなのはこちらです。

相手がおとなしくなる。
言い返さなくなる。
自分の言うことを聞く。

そうすると、自分の立場が守られたように感じる人がいます。

そのため、無意識に

「強く言えば言うことを聞く」

という人間関係を作ってしまいます。

でもそれは、信頼されているのではありません。

怖がられているだけかもしれません。

怖がらせれば、その場では人を動かせます。

しかし相手は質問しなくなります。
相談しなくなります。
分からないことを隠すようになります。

結果として、仕事そのものがうまく回らなくなることさえあります。

では、威圧された側はどうすればいい?

ここで大切なのは、

相手の心理を理解することと、相手の態度を我慢することは別

ということです。

「あの人にも余裕がないのかもしれない」

そう考えることで、少し距離を取れるなら、それは役に立ちます。

でも、

「かわいそうな人だから私が我慢しよう」

まで行く必要はありません。

そして、もう一つ。

相手の心を分析しすぎないことです。

「どうして私にだけ?」
「私のことが嫌いなの?」
「何か悪いことをした?」

と考え続けていると、仕事が終わってからも、その人に心を占領されてしまいます。

そんなときは、相手の心の中ではなく、起きた事実を見るほうが役に立ちます。

「いつ」
「何を聞いた」
「何と言われた」
「その結果、仕事にどんな影響があった」

簡単にメモしてみます。

たとえば、

8月○日。作業手順を確認したところ、「前にも言ったよね」と強い口調で言われた。その後、質問するのが怖くなり、確認できなかった。

こうして文字にすると、

「私がダメなのかな」

という漠然とした不安から、

「こういう出来事があって、私はこう感じた」

という事実に戻ることができます。

メモは誰かを攻撃するためだけのものではありません。

自分の心を冷静な場所に戻すためのメモでもあるのです。

「この人は、こういう人」と一歩離れて見る

威圧された瞬間は、どうしても相手の言葉を真正面から受け取ってしまいます。

でも心の中で、

「この人は、強い言い方をすることで自分を保っているのかもしれないな」

「これは仕事の指摘と、この人の感情が混ざっているな」

と一歩離れて眺めてみる。

すると、

相手の機嫌=自分の価値

ではなくなってきます。

仕事上、直すべきところがあれば直せばいい。

分からなければ確認すればいい。

でも、嫌みまで自分の心の中に持ち帰る必要はありません。

威圧する人の心の中を理解する目的は、その人を許すためでも、言いなりになるためでもありません。

「これは全部、私のせいではないかもしれない」と気づいて、自分の仕事に戻ってくるため。

相手の心の中は、相手のもの。

自分が考えたいのは、

「この人をどう変えるか」ではなく、 「この人がこういう人でも、私はどうすれば落ち着いて仕事ができるか」

なのだと思います。